自立ってなんだろう?\(@^0^@)/
こんにちは。o(*°▽°*)o
医学モデルや社会モデルなどを通して自立について考えていきたいと思っていましたが、なかなか行き着きそうにないので、いきなり自立について考えてみたいと思います。💦
ICIDHやICFについては、後から触れるのでも良いかな?逆にその方が分かりやすくなるかな?なんて考えてます。
さて、皆さんは自立という言葉をどういう意味で使っておられますか?🎈
「人に頼らないで自分で何でもできるようになること」みたいな意味合いで使っておられる方も多いと思います。
確かにそういう意味合いもあると思います。
現在、福祉では自立支援ということが盛んに言われています。
ですが、何らかのハンディキャップを抱えた方が、「人に頼らず自分でする」というのは難し過ぎはしませんか?🍀
人は私を含め、「誰にも頼らず自分でなんでもする」というのは不可能だという気がします。
私達は、自分ではできないことがあるからいろんなサービスを利用し、また、いろんなサービスもそれで成立しているんだと思います。
だとしたら「自立」ってどう考えたらいいんでしょうか?
ヒントはノーマライゼーションや医学モデル、社会モデルなどというものの中にもあるように思います。
ノーマライゼーションって、かんたんに言うと「環境に働きかけて社会をハンディキャップを抱えた方に合わせること」ですよね。
社会モデルも、かんたんに言うと「障害は社会が作り出したもの」という考え方ですよね。
ICIDHとICFについて少しだけ触れます。🌈
ICIDHは医学モデルの考え方で、「病気」があるから「機能障害」が起こる、「機能障害」があるから「能力低下」が起こる、「能力低下」があるから「社会的不利」に陥る、または、「機能障害」から「社会的不利」に陥る、というものです。
それに対して、ICFはICIDHの「病気」を「健康状態」、「機能障害」を「心身機能と身体構造」、「能力低下」を「活動」、「社会的不利」を「参加」という言葉にそれぞれ置き換えています。
病気とか障害、低下や不利といったネガティブな表現がなくなっていますね。
もう少しだけ言うと、「個人因子」や「環境因子」といった背景因子も盛り込んで、それぞれを相互関係で結んでいます(この辺を分かりやすく言うのが難しい~(T_T))。
ICFは医学モデルと社会モデルを統合した考え方とも言えます。
これらを見ていくと「社会」という言葉が多く出てくることに気づきませんか?
「自立」と「社会」に何か関係があるのでしょうか?ヾ(^▽^*)))
また、ICFのところで、「参加」という言葉が出てきますが、参加とはどういうことなのでしょうか?(ToT)/~~~
社会参加という言葉があります。
参加とは社会に出ていく、社会と関わっていくことと考えられます。
では、社会とは何でしょうか?
小さな社会も大きな社会もあります。
人が暮らす地域や働く会社、サークル活動、学校、クラス、所属する団体、施設に入所されている方はその施設内などもそれに入ると思います。🚀
参加とは、そういった社会で、人と人とが関わっていくこと、人と人との関わりは「頼り頼られ」の関係ということもできると思います。🌎
そういった社会で「役割」を得て、人から頼られることも参加に含まれるでしょう。
そうやって信頼関係が築かれていくのだと思いませんか?✪ ω ✪
「頼る」という言葉には「期待する」というような意味合いも含まれているように思えます。
「頼る」ことを「信じる」と書いて「信頼」という言葉になります。
信頼とは、頼ったことに対して応えてもらえるという安心感のようなものでしょうか。
こうやって見ていくと、「社会参加」と、「自立」ってナンダカ関わりが大きい気がしてきます。
逆に、最近問題になっている「ひきこもり」を考えてみましょう。☜(゚ヮ゚☜)
「ひきこもり」をすると人との関わりが極端に少なくなってきますよね。
社会性がなくなることも心配されます。
ネットとかで外部とつながりがあるのはまだ良い方かもしれません。👀
社会(外の世界)に出ると、いろんなものが目に入り情報量も増えます。🎶
限られた空間にいるといろんな情報量が少なくなり、いろんなことの選択肢も少なくなってきます。😥
例えば、ひきこもるとショッピングモールや商店街などのお店にも行かなくなります。
しかし、生きるためにはいろんな物が必要です。
食べ物や着る物などいろいろです。🍖🍙🍜
誰かに買ってきてもらうことになるかもしれませんが、限られた空間では情報量も限られてきますし、欲しい物の選択肢も限られてきます。
ネットで外部とつながっていたとしても、その傾向には違いはないように思われます。
また、外部との接触がないので自分の格好などに無頓着になり、意欲がなくなり無気力になっていくような気がしませんか?┗|`O′|┛
何でもやってもらう生活になり、自分で決めて何かをやるということがなくなる。
そうなってくる気がしませんか?
そして、問題はそこではないかと思えてきます。😊
自分で決めること、すなわち「自己決定」がなくなること、または、極端に減少すること、これが問題なのではないでしょうか。
「なんでもやってもらう」生活は、「自己決定」の機会や能力を奪ってしまう。
つまり、「自分ですること」が自立の一つの意味であると同時に「自己決定」が自立のもう一つの意味であることに気づかされます。
自立支援とは自己(意思)決定を大事にする支援であると思えます。
それと同時に自立支援とは、利用者さんの社会参加を支援することと言えると思います。
ある有名な先生の言葉に「誰にも頼らず、なんでも自分でしてしまうことは自立ではなく孤立につながる」というのがあったように記憶しています。
また、「自立とは依存先を増やすことである」とおっしゃっていた先生もおられます。
孤立とは社会性とは全く逆で、自立するうえで適度に人に頼ることは必要なんですね。
そして、自分に自信がないとどうしてもネガティブな自己決定になってしまいがちです。
自分に自信をもつことを「自己肯定感」と言います。🌈
自立支援では、この「自信をもってもらえる支援」=「自己肯定感を高めてもらえる支援」を行って、利用者さんにポジティブな自己決定ができるようになってもらえることが大事だと思います。⭐
「なんでもしてあげること」は、自己決定を含め「できることを奪うこと」につながることだと考えることもできますね。🌞🌞🌞
私の伝えたいことがきちんと伝わったか不安で、本当はもっと伝えたいこともあるのですが、今回はこれまでにします。\(@^0^@)/
今回は自立がテーマの第1弾ということで、また今度自立について考えましょう。◑﹏◐
*今日のことに関連して、ホスピタリゼーションという言葉を思い出しました。
似た言葉にホスピタリティという言葉もありますが、これは全く別の意味になります。
また、リカバリー理論も関係してくると思えてきました。
こうやってくると、エンパワメントやストレングス、レジリエンス、リフレイミングなどいろんな言葉が浮かんできます。
今度、機会がくればまた自分なりの言葉で紹介していきたいと思います。😊😊😊