ICIDHとかICFって結局なに?

 こんにちは、せなパパです。(*  ̄3)(ε ̄ *)

いつも疑問形になっているテーマの表題ですが、これは、愛犬せながいつも人の話を聞きながら、人の顔を見て首をかしげて考えているように見えるところに由来しています。

はてなブログ」っていうのも、そういうところが馴染みやすかったんでしょうね。

ところで、今回、ついにICIDHとICFについてお話ししていきたいと思います。🍔

見にくいとは思いますが、図は写真を入れることにしました。

あまり期間が空きすぎて、ICIDHとICFを通して何が言いたかったのかというところが、ぼやけてしまっている感じがありますが、思い出しながらお話ししていきたいと思います。

まずは、「医学モデル」と「社会モデル」を覚えていらっしゃいますか?

かんたんにおさらいすると、「医学モデル」では、「障害」は「障がい者」の側にあると考えます。

対して、「社会モデル」は、「障がい者」にとっての「障害」は社会が作り出すもの、社会の側にあるものという考え方ですね。

社会の側にある「障がい者」にとっての「障害」を「社会的障壁」と呼ぶとお話ししました。

つまり、「生活のしづらさ」「生きづらさ」がなければ、「障害」ではないといえます。

たとえば、ADHDを抱えている人が、それにより「生活のしづらさ」「生きづらさ」を感じていれば、「注意欠陥多動性障害」といえると思いますし、もし感じていなければ(感じていても)「注意欠陥多動(注意欠如多動症」といえると私は思っています。

逆を言うと「疾患」がなくても「生活のしづらさ」「生きづらさ」があれば「障害」になるということです。(言いすぎかな?)

「疾患」のあるなしに関わらず、この「障害」を背負った人を「社会的弱者」と言ったりしますね。(個人的にはあまり好きな表現ではありません)

それでは、本題に移りますね。🧡💛💚💜❤

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図1. ICIDH



ICIDHからお話ししていきたいと思いますが、ICIDHは「国際障害分類」と訳されます。

図1を見ながらお話ししますね。

これは、医学モデルに基づくもので、病気→機能障害→能力低下→社会的不利、もしくは、病気→機能障害→社会的不利という一方通行の流れになっています。

たとえば、「脳卒中で手足が不自由になり、自力で食事が摂れなくなって、トイレにも行けないので、外出もできないし、旅行にも行けない」というのをICIDHにあてはめてみると、「病気=脳卒中」→「機能障害=手足が不自由」→「能力低下=食事が摂れない、トイレに行けない」→「社会的不利=外出できない、旅行に行けない」といった感じです。

医学モデルの支援の方法としては、この流れ、→の部分を「治療」や「リハビリテーション」を用いて「断ち切る」ということになります。

一方、ICFは、「国際生活機能分類」と訳されます。

「世界の共通言語」とも言われ、今は世界共通の認識になっているといえますね。

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図2. ICF

今度は、図2を見ながらお話ししていきますね。

これは、医学モデルと社会モデルをいわば統合したもので、「障害」とか「低下」とか「不利」というネガティブな表現がなくなり、「病気」を「健康状態」に、「生活機能」として「機能障害」を「心身機能と身体構造」に、「能力低下」を「活動」に、「社会的不利」を「参加」に置き換えています。💨

また、ネガティブな表現をなくしたということで、それぞれの因子に肯定的な表現を使うことを心がけます。

たとえば、「能力低下=食事が摂れない、トイレに行けない」の場合、「活動=介助があれば食事が摂れる、介助があればトイレに行ける」という具合です。

「病気」を「健康状態」に置き換えたということは、病気ではないものも含めて考えることができることを示しています。🌈🌈

また、それぞれを相互関係で結び、一方通行の流れを相互通行(?)にしました。

ここで大事なのは、支援において、流れを「断ち切る」のではなくて、「健康状態」「心身機能と身体構造」「活動」「参加」といった因子のいずれかを高めることにより、それが他の因子に働きかけて(影響して)お互いに「高め合う」ことができるということです。(その逆もあります(¯―¯٥))

たとえば、「耳が不自由でコミュニケーション能力が低下している」とします。

これを、ICIDHにあてはめてみると、「耳が不自由」→「コミュニケーション能力低下」で、「機能障害」→「能力低下」になると思います。

ですから、この→を「断ち切る」ためには、「耳が聞こえるようになる」支援(治療など)を行います。

これが、ICFでは、支援により「コミュニケーションを行いやすくなる」ようにすれば、「耳が不自由」なのも補うこともできると考えるのです。

あくまでも、ICIDHと逆の支援をしたほうが良いということではなくて、ICFでは逆の支援の仕方も考えられるということです(支援の幅が広がったと言えますかね)。

医学モデルの支援の仕方を否定しているわけではないのです。

また、「背景因子」として「個人因子」や「環境因子」も「生活機能」と相互関係で結んでいます。

これはICIDHにはなかったものです。

「個人因子」とは、年齢、性別、民族、価値観、ライフスタイルなどのことです。

「環境因子」とは、住環境、医療や福祉、交友関係、周囲の目など、物的環境、人的環境、社会環境を指しています。

これらも「生活機能」と影響し合うという考え方ですね。

たとえば、先ほどICIDHの例を持ってくると、「病気=脳卒中」→「機能障害=手足が不自由」→「能力低下=食事が取れない、トイレに行けない」→「社会的不利=外出できない、旅行に行けない」でしたね。

その「能力低下=食事が取れない、トイレに行けない」の部分をICFのやり方で置き換えると、「活動=介助があれば食事が摂れる、介助があればトイレに行ける」になります。

そこで、「環境因子」として「身体介助を行う人がいる」を入れ込めば、「活動=食事が摂れる、トイレに行ける」となるわけです。

また、「社会的不利=外出できない、旅行に行けない」の部分も、「参加=外出できる、旅行に行ける」にできるかもしれません。

ADLやQOLを覚えていらっしゃいますか?

ここで「活動」=「ADL、IADL」、「参加」=「QOL」と考えると分かりやすいかもしれません(言い過ぎかな?極端かな?)。

また、「生活機能」には、「していること」だけではなくて「できること」を入れ込むことも大事だと思います。

ICIDHは福祉の業界では古い考え方と思われがちですが、ICFに統合されはしましたが、決して悪いというわけではなく、これはこれで大事な意味があったと思います。

ICFでは流れを「断ち切る」ことだけではなく、何か肯定的ものを「付け足す」ことでも状態が改善できることを示したといえます。

今の言葉の前半部分が医学モデルの考え方で、後半部分が社会モデルの考え方と言えますので、「医学モデル」と「社会モデル」の統合というのは、こういうことですね。

ICFでは、「生活因子」を中心として、「健康状態」と「背景因子」を相互関係で結んでいますので、それぞれが等しく影響し合うものとされています。

しかし、私は支援を行わせていただくうえで、「参加」という部分に特に焦点をあててみると考えやすいように思えます。

主体はもちろん利用者さんにありますが、社会に「参加」しやすくするためにはどうしたら良いかを考えると、それぞれの因子に何を入れ込んでいけば良いかを考えやすくなる気がします。

定年退職を迎えられた高齢者のなかで、「もう人間関係には疲れた、ずっと家にいたい」と訴える方もいらっしゃいます。

それはそれで、その考えを尊重するべきですが、もう一度社会に出る、参加する喜びを取り戻してほしいと願います。🌝🌝

私は、もし自分が高齢者の方の支援をする時には、そういう意欲を喚起させるような支援をしたいと思うのですが、せめて、自分が、引きこもりを決めた高齢者の方にとって、社会につながる窓口になるような存在になれたらなと思っています。

そして、誰もが社会参加したくなるような、魅力的な社会になるように、社会に対して働きかけていくことも大事だと思います。🚅🚀

ちなみに似たような言葉にICDというのもあります。ICDは「国際疾病分類」と訳され、病院での診断などに用いられたりしています。

また、ICDと共に、アメリカ精神医学会(APA)から出されているDSMというもあります。

これは、「精神疾患の診断・統計マニュアル」と訳され、精神障害に関する国際的な診断基準の1つとなっています。

 

今回はこれまでにしますが、難しかったでしょうか?(¯―¯٥)

コミュニケーションの技法については、また今度、お話ししていきたいと思っています。

それでは、またよろしくお願いします。(∪.∪ )...zzz

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きょうの"りりたん” ねむたそうです。