こんにちは、お久しぶりのせなパパです。(^人^)
前回、アルコール依存症について取り上げたのですが、その中でお話ししきれなかった内容について今回触れてみたいと思います。⚽
アルコール依存症に代表される「依存症」につきものの現象に「共依存」があります。
この「共依存」というのは病名ではなくて、いわば「状態」のことを指します。
「アルコール依存症」という言葉と一緒に「依存」と出てくるので、依存症の一つかな?と思われるかもしれませんが、そうではありません。
では、これって、どういうことでしょうか?
もともと、「共依存」という言葉は、アルコール依存症の患者さんとその家族の関係性から生まれた言葉らしいです。
たとえば、アルコール依存症の夫が、お酒が原因でなにかトラブル(問題)を起こしたとします。
妻は、そのトラブルに関係した相手に謝ってまわったり、献身的に尻拭いをして世話をします。
「尻拭い」とは、アルコール依存症の夫が、お酒を飲みすぎて会社に行けなくなった時に、会社に電話を入れづらい夫にかわって妻が会社に電話を入れたり、夫がお金も持たずに飲食店でお酒を飲んで、その代金を後から妻が払いに行ったりとかも入ります。
夫は、その献身的に尻拭いをして世話してくれる妻に安心(依存)して、次々とまたお酒を原因とするトラブルを起こし、結果としてアルコール依存の状態が進行していってしまいます。
それにより、妻はますます夫のお酒によるトラブルの尻拭いに献身して、結果としてその状態から抜け出せなくなる(依存する)のです。
ちょっと残酷な(きつい)言い方をすれば、妻は夫の飲酒問題の尻拭いに自分の価値を見出しているということもできると思います。
「価値を見出す」とは「そうすべきだ」と思っているということでもあります。
こういった悪循環の状態を「共依存」と呼ぶようです。
全般的な状態として言いかえれば、「自分と特定の相手が互いに過剰に依存し合い、その関係性に囚われている状態」と言えます。
つまり、「自分の自立や回復の妨げになるほどに相手に頼る(依存する)ことに対して、相手もその頼られることを(意識するしないに関わらず)全面的に受け入れている(依存している)状態で、結果として状況や状態が悪くなってしまうこと」と言えると思います。
ですから、この関係(状態)は、アルコール依存症の場合に限らないのです。
夫婦や恋愛関係、親子関係や職場関係などにおいても見られるといいます。
先ほどのアルコール依存症の夫と妻の例をはじめとして、夫婦や恋人同士などの恋愛関係は、特に「共依存」になりやくなると思われます。
どちらか一方が相手に尽くすと、尽くされる相手はそれに慣れてしまい、結果として自立できなくなるということです。
ある韓国ドラマで登場人物の女性が、恋人役の男性に「恋愛とは自分でできることを相手にしてもらうこと」だと言って、なにかをしてもらっているのを見たことがあります。
こういうこと?なんでしょうかね?
親子関係では、親が過保護に子どもにかまい、「親がいないとなにもできない」「親がいないと困る」子どもに育ってしまい、結果的に子どもが心身ともに自立できず、親も、子どもを過保護にかまってしまう関係から抜け出せなくなる状態が考えられます。
子どもが自立しようとする時期になって、親が精神的に不安定になるとか具合が悪くなるといった「空の巣症候群」という言葉を聞いたことがありませんか?
これも、その親が子どもに過保護に関わった結果によるものと思われます。
でも、これって多かれ少なかれ子を持つ親なら経験することだと思います。
また、「共依存」とは別の話になるかもしれませんが、「虐待を受けた子どもは、親になったときに自分の子どもを虐待するようになる」とか、「アルコール依存症の父親の娘は、自分がアルコール依存症になるか、アルコール依存症の男性と結婚する」といったことを聞いたことがないでしょうか?
「依存」と「愛着」には大きな関係性がありますので、親子の愛着関係の形成の時期(子どもの幼少期)に、その関係性においてこういった現象が起こってくると思われます(必ず起こるということではありません)。
愛着障害とかも関係ありますが、それはまた別の機会にお話しようと思います。
それでも少しだけお話しすると、前者の虐待の件ですが、幼少期の子どもは当然、親や他の大人に依存する存在です。
それで、わざと親や大人を困らせるような行動を取ったりします。
困らせるような行動を取って「これでも僕を(私を)愛してくれる?」と試すのです。
これを試し行動と呼んだりします。
幼少期の子どもは、親などから虐待などで十分な愛情を受けて育たないと、愛着関係を築きたい思いがありますので、この試し行動がひどくなったりします(もしくは無駄だと学習して無関心?になることもあるようです)。
この思いが大人になっても充足されないと、自分に子どもができた時に、自分の子どもに対しても「これでも私を愛してくれる?」と傷つけるような行動を取るようになるといいます。
自分が親に虐待を受けて、「自分の子どもには絶対に虐待はしない」と思っていても、虐待してしまうのは、こういうことだと考えられます。
これが虐待の連鎖の原因の一つとだとされています。
後者のアルコール依存症の件では、「共依存」が関わってきます。
アルコール依存症の父と「共依存」の関係にある母、そして、その娘がいたとします。
母は娘に期待をかけ、相談ごとなども父ではなくて娘にするようになります。
娘は娘で、かわいそうな母をなんとかしたいと思い、期待にそえようと頑張ります。
ここで、母と娘の間でも「共依存」が発生するのです。
その娘は、周囲から見れば大変な母を支える優等生です。
優等生は、ある意味、完全主義者になりやすい傾向にあります。
完全主義者というのは疲れますし、「~しなければならない」といった強迫観念が常につきまとう強迫性障害に陥ったりします。
そうするとストレスがたまりお酒に頼るようになると言われます。
それで、その娘も大人になってアルコール依存症になるというわけです。
また、その娘が幼少の時の愛着の対象に父もいたわけですから、その愛着の形成時期にその娘も父の飲酒問題の尻拭いや世話を経験することになります。
そこで、歪んだ形で愛着が形成されていってしまうのです。
そして、一般的にそういったことは周囲からは美徳と捉えられがちですので、そこにその娘は自分の価値を見出してしまう(~するべきだと思ってしまう)のです。
そして、娘が大人になってからも男性に対する愛情の示し方を、自分が幼少の頃の愛着の形成の仕方と混同して、父親と同じようなアルコール依存症の男性に愛情を注ぐようになると考えられます。
そうして、アルコール依存症の男性と結婚するということになるのです。
話がそれてしまったようなので、もとに戻しますね。
職場関係においてですが、これは意外と思われるかもしれませんが、上司と部下の間で「共依存」の関係になることがあるらしいです。
なかなか自分一人で判断し行動できるようにならない部下と、頼られたいと思っている上司との関係だそうです(なんだか他人事ではない気が‥‥、どちらの側かはご想像におまかせ)。
自分一人ですると不安だとか面倒くさいとか、上司の意見を尊重したいという思いの強い部下と、いつまでも頼られたいとか、頼られることに自分の価値を見出している上司との関係といえるでしょうね。
実は、この「共依存」、女性が陥りやすいと言われているんですよね。
心理学では、女性の方が男性に比べて、愛情欲求や依存性などが強いという研究結果があるようです。
ですから、女性がクール(冷たい?)な男性に惹かれたり、自分の子どもに依存してしまったりということになるのかもしれませんね(女性の方、怒らないでくださいね)。
ところで、この「共依存」と大変関係の深い言葉に「イネーブリング」というものがあります。
先ほどのアルコール依存症の夫と妻との例でいうと、アルコール依存症の夫は、自分の飲酒問題によって妻に多くの迷惑をかけているですが、妻はその飲酒問題の尻拭いをすることに自分の価値を見出しているとも言えるかもしれません。
その結果、皮肉にも夫の回復を拒み、自立する機会を阻害してしまっているということが起きてしまっているのです。
こういった、本人のためを思って、良かれと思ってやっているのに、結果的に相手の問題を進行させてしまう行為を「イネーブリング」と言います。
そして、「イネーブリング」を行う人のことを「イネーブラー」と言います。
ここでは、アルコール依存症の夫の妻が「イネーブラー」ということになります。
「共依存」というのは、見方を変えれば、自分自身に焦点が当たっていない状態とも言えるかもしれません。
つまり、自分の価値を、周囲の基準に合わせて判断したり、自分がどうしたいかよりも、周囲の期待に応えることだけ、他の人の問題を解決することだけにいつも一生懸命だとか、ということかもしれません。
しかし、これを続けていくと、自分自身がどんどん苦しくなり、状況も悪化していくということになりかねません。
「イネーブリング」には、尻拭いや世話焼きなどの他に、小言や説教、叱責、行動を管理することなども含まれるそうです。
「イネーブリング」にならないためには、尻拭いや世話焼きをするのではなくて、本人に自分の行動の結果を経験してもらい、その行動の責任を取ってもらうようにすることが大事です。
また、小言を言ったり、説教、叱責などをする代わりに、「私は~と思う」などというように「私」を主語にした言葉を使い、本人の行動で傷ついていることをはっきりと伝えることが大事です。
ただし、具体的な行動に言及し、肯定的な言い方で簡潔に話し、思いやりのある言葉がけを行い、支援を申し出ること、相手より言葉数を減らし、先々に口出しせず後出しにし、答えを出すのはいつも相手、相手が感情的になってもこちらは理性的に接すること、が大事だそうです(多すぎる?)。
この時、一度に一つのことに絞って話すことが効果的だと思われます。
そして、行動を管理するのではなく、飲酒などの依存行為をやるかやらないかは本人に任せ、関わらず、金銭管理は本人にさせること、事が起きてから動くようにし、事実をきちんと見せるようにすること、が大事ですね。
でも、「イネーブリング」をしないようにすることって、周りから見ると冷たいとか残酷な仕打ちに映るかもしれませんね。
そういう意味で、本当に勇気がいる行動に思えます。
また、本来、人に尽くすということは美徳とされていることですから、その線引きが本当に難しいと思います。
こういう私も、実は自信がありません。
こういう話もあります。
アルコール依存症の息子と母親がいて、母親は息子の飲酒問題に対していつも尻拭いをせざるをえない「共依存」の関係に苦しんでいました。
しかし、ある時、息子は連続飲酒になったことを機会に精神科病院に入院することになり、そこで自助グループ(断酒会)に出会い、退院した後も断酒することができ、人生の目標もできて徐々に回復していきました。
そうすると、だんだんその息子は、母親からの信頼も取り戻すことができ、やがて母親から頼られるようになりました。
母親は息子がアルコール依存症で苦しんでいた時、あれだけ飲酒問題の尻拭いや世話をしたんだから、今度はこちらが少しくらい頼っても良いと思っていました。
その頼り方は、息子が仕事から帰るのが少し遅くなっただけで職場に安否確認の電話を入れるほど過剰なものになってきました。
しかし、息子も、自分が母親にさんざん迷惑をかけたことを理解していたので、それでも母親から頼られることに応えるように務めました。
こうして、新たな親子関係における立場を逆にした「共依存」が始まったのです。
母親が、度を過ぎて息子に頼るようになってしまったということですね。
どうでしょう、この例に限らず、ありえない話ではないと思います。
「共依存」の関係にならないこと、「共依存」から抜け出すことって、本当に大変そうですよね。
人は社会生活を送る上で、ある程度の依存が必要なのは以前にもお話ししたと思います。
要は、過剰な依存に気をつけるということだと思います。
最後に、前回の「アルコール依存症」のところで書き忘れていたことを書き足します。
それは、スリップしないように「H.A.L.T.」に気をつけるということです。
「H.A.L.T.」とは、H=Hungry(空腹)[一説にH=Happy(楽しい)も]、A=Angry(怒り)、L=Lonely(孤独、さみしい)、T=Tired(疲労)です。
こういった状態の時に、アルコール依存症の人はお酒に手を出しやすくなると言われているそうです(他の依存症でも、その依存対象に手を出しやすくなるそうです)。
また、ドイツ語で「HALT」は「立ち止まる」という意味があるそうです。
書き忘れていてどうもすみません、後から思い出しました。
今回はここまでにします。
またよろしくお願いします。