発達障害って‥‥‥?(ASD)

 こんにちは、せなパパです。

発達障害」って最近よく耳にするようになってきたと思いますが、今回はそれについて考えてみたいと思います。

発達障害」と「知的障害」を持ち合わせている人も多かったりするので、混同している人もいると思いますが、実は全く別物なんですね。

また、「発達障害」は、「心の病(精神障害)」ではなく、先天的な脳の機能による「情報の混乱(認知障害)」ということができます。

ですから、もちろん、親の育て方やしつけが原因では決してありません。

発達障害」でよく取り上げられるのが、「自閉症スペクトラムASD)」と「注意欠陥多動性障害(注意欠如多動症)(ADHD)」、「学習障害(LD)」だと思います。

ですが、長くなるので、今回はこの「自閉症スペクトラム」に的を絞ってお話ししたいと思います。

ところで、「自閉症スペクトラム」の「スペクトラム」ってなんでしょうか?

よく例として出されるのは、「虹」ですよね。

「虹」は、「青」や「赤」や「黄色」など、いろんな色が連続して映し出されていますよね。

いろんな色がありますが、これらって、周波数の違いで見え方が違っているだけで、全て可視光線という光であり、電磁波なんですよね。

かんたんにいうと、本質的には同じものが程度の差によって連続的に違う様相を示しているのが「スペクトラム」ということができると思います。

自閉症スペクトラムASD)」においても、ちょっと前までは、症状によって「自閉症スペクトラムASD)」は「カナー型自閉症」「高機能自閉症」「アスペルガー症候群」「広汎性発達障害(ADD)」などに分かれていました。

しかし、これらの症状もそれぞれの虹の色と同じように、程度の違いだけで、もともと(根源)は同じものであるという考え方をするようになったんですね。

それまでは、違う病名や障害名のように扱われていましたが、ひとくくりにして捉えようということです。

ちなみに「カナー型自閉症」は、「自閉症」と「知的障害」が合わさったもので「古典的自閉症」と呼ばれていました。

また、「高機能自閉症」は、「知的障害」のない「自閉症」で、IQが70以上とされていました。

こちらは耳にしたことがあるかもしれませんが、「アスペルガー症候群」は、知的障害がなく、言語機能に問題のない自閉症とされていました。

そして、「広汎性発達障害(ADD)」は、自閉症の診断基準が一部該当しても、自閉症の基準を満たさないものとされていたようです(ASDADHDが合わさったようなものだったりしたみたいです)。

しかし、これら後者の3つは、ほぼ同じように扱われて、厳密な違いを見つけるのは難しかったようですね。

次に、「自閉症スペクトラム(以下ASD)」の症状ですが、主に「社会的困難」「強いこだわり」「感覚の困難」の3つです。

「社会的困難」は、コミュニケーションの障害とも言われ、「空気が読めない」「対人関係が築けない」「人の立場になって考えることが苦手」といったものがあります。

具体的には、「グループでの業務・活動が苦手」「やり取りがうまくかみ合わない」「伝えたいことを言葉にまとめることが苦手」などになります。

「強いこだわり」は、「興味行動の限定」と言い換えることもでき、「特定のものへのこだわり」「儀式的行動」が見られることが多いといえます。

具体的には、「人の話に関心を持てない」「自己流で物事を進めたがる」「過集中」などがあります。

「感覚の困難」は、感覚過敏(鈍麻)があり、触覚過敏、視覚過敏、聴覚過敏、味覚過敏などがある人が割と多いと言えるようです。

聴覚過敏や味覚過敏では、ある音や味がある種の痛みを伴って聞こえたり、味がしたりするです

食べ物の好き嫌いが多い子どももいますが、この辺の見極めが難しいですね。

もしかしたら、味覚過敏かもしれませんもんね。

もしそうだとしたら、無理に食べるように指導するのはとても残酷なことですよね。

また、聴覚過敏では、学校のクラスで授業中に一番うしろの席だったりすると、そのクラスの先生の声と隣のクラスの先生の声が同時に同じように聞こえてきて集中できなくなったりする人もいるそうです。

ちょっと、この感覚は本人でないと理解できないですよね。

今、「理解できない」と話しましたが、実は、このASD、「社会的困難」でいうように「社会性の障害」と思われていましたが、「共感できない」ことの障害であることが分かってきたようです。

「理解できない」ということは「共感できない」ということにつながります。

そして、ASDを抱えた人は全体からすると絶対的少数派です。

ですから、ASDをかかえていない多数派の人が、ASDを抱えている人を「理解できない」もしくは「共感できない」のと同じで、ASDを抱えている人も、ASDを抱えていない人のことを「理解できない」もしくは「共感できない」のだと考えられます。

強度行動障害といって、ASDを抱えた人のなかには、精神的に不安定になり、人を叩いたり、物を投げたり、壊したりなどの他害行為や自分の頭を手で叩いたり、壁や床にぶつけたりする自傷行為が見られることがあります。

そういった強度行動障害を抱えた人は、周囲の人たちに共感できないことで、精神的に不安定になっていると思われます。

ですが逆に、同じようなASDを抱える人たちが集まると、そのなかでは対人関係(社会性)が築けるという話もあります。

例えば、通常学級では少数派であるASDを抱え不安定で問題行動と捉えられる行動の多かった子どもが、同じようなASDを抱えた子どもたちのクラスに行くと、安定して問題行動と捉えられていた行動も減った(もしくは、なくなった)ということもあるようです。

また、「言語理解」の障害だということも言われています。

ASDを抱えた人は、日本語の助詞(~が、~を、~に、~の、~と、など)の理解が難しいと言われています。

私たちは日常、会話のなかで結構いい加減にこの助詞を使っていることが多いらしく、そのためASDを抱えた子どもは、この助詞の使い方を習得しづらいらしいのです。

ですから、ASDを抱えた人は、周囲の日常会話からではなく、テレビやラジオから日本語を習得することが多いらしいです。

そのため、ASDを抱えた人は方言を話す人が少なく、圧倒的に標準語で話すのだそうです(なかには、年下や後輩であれ誰に対しても敬語で話す人もいるようです)。

また、幼少期の言語の習得が遅れることが多いのも、その理由の一つとしてあるようです。

そういうことで、ASDを抱えた人は、周囲の言葉が理解しづらく、コミュニケーションの障害が起こってくるともいえます。

言葉の意味をそのまま受け取ってしまうも多いようです。

それで、冗談や社交辞令が通じにくい、ということが起こってきます。

曖昧な表現や抽象的な表現が苦手というのもあるようです。

たとえば、「少し多め」とか言われても混乱してしまうのです。

具体的に「~個」とか「~グラム」などのように伝えることが大切です。

また、ASDを抱える子どもに、「~してはダメ」と伝えても、どうして良いのか分からず、混乱してしまうということがあるようです。

ですので「~してね」というように具体的に指示を出す必要があります。

そして、抽象的なことの理解が苦手なので、社会的な善悪が分かりにくいときがあるようです。

そういう時は、「良い」「悪い」ではなくて「得する」「損する」というように伝えると伝わりやすいようです。

ASDを抱えていない人も、外国に行く時、そこの言語を習得せずに行くと、ASDを抱えている人特有の行動が増えるとも言われています。

そういう事実を知ると、きちんと言葉で伝えることは、実はとても難しくて、大切なことなんだなと思いますね。

そういえば、ASDを抱えている人は、犬を認知することも難しいようです。

犬っていろんな種類がいて、色も大きさも、形も違ったりしますよね。

そういった犬を見て、これは「犬」だと理解することは、実はとても難しいことのようなのです。

あとは、「頃合い」が分かりづらい、「ちょうどよい」が分かりづらい、「臨機応変な対応」が難しいということがあるようです。

これについて少しお話ししますと、症状として全然違うように見えるようなことでも、本質を見ると同じということがあるようです。

たとえば、「ほとんど人と話さない(緘黙(かんもく))」と「人としゃべりすぎる(多弁)」は全く違う現象のようですが、本質は「ちょうどよい」が分かりづらいこと、ということになります。

「強いこだわり」では、私が見たことがあるのは、仕事のお昼休みには、休憩室の必ず同じ場所に座って同じテレビ番組を見て、昼食を食べながら必ずコカ・コーラを飲む男性がいました。

その男性は、お昼休み以外には休憩室には立ち寄らず、1日のスケジュールも朝にはきちんと細かく決まっていて、それにそって型にはまった行動をしていました。

また、私生活でも、たまご焼きを作る時はこのフライパンを使うといったように、きちんと決まっていて、彼の奥さんがそれを守らないと混乱して怒りちらしてしまっていたようです。(その人も標準語を話していました。)

また、違う人では、なにかする前には、必ずといってよいほどスライドドアの開け閉め(エレベーターのドアの開閉のマネ)をしてから行動に移るということもありました(儀式的行動ですね)。

しかし、この「強いこだわり」も一見不便なように思えますが、天才的な現象を見せることもまれにあるようです(多分、「強いこだわり」によるものだと思います)。

それが、「サヴァン症候群」です。

サヴァン症候群」の代表例として、トム・クルーズダスティン・ホフマンが共演した「レインマン」という映画で、ダスティン・ホフマンの演じるASDを抱える男性レイモンドが、天才的な能力を発揮しています(カジノで大儲けしています)。

電話帳を全部暗記するとか、見たものを瞬時に記憶する、などです。

また、これとは違う例でも、一度見た景色を詳細に絵に描けたり、一度聞いた音楽をすぐに楽器で演奏できたり、そろばんを習っていなくても幾桁の暗算を瞬時にできたり、数年先の何月何日の曜日を当てることができたりするみたいなことがあるらしいです。

あと、忘れるところでした。

もう一つ、ASDを抱える人は、「人の立場になって考えることが苦手」というところで、「サリーとアン課題」というのをご存知でしょうか?

これから紹介しますね。

サリーとアンが、お部屋にいます。

サリーは、キャンディをカゴの中に入れました。

サリーは、お部屋から出ていきました。

アンは、カゴの中のキャンディを箱の中に移しました。

サリーが戻ってきました。

さて、皆さんに質問です。

サリーはキャンディを探しますが、どこを探すでしょうか?

ASDを抱えていない人は「カゴの中」と答えるのではないでしょうか?

しかし、ASDを抱える人は「箱の中」と答える人が多いそうです。

これが、「人の立場になって考える」ことが苦手ということなんでしょうね。

ASDを抱える子どもは、太っている子どもに平気で「デブ!」とか言うことがあるようです。

「どうして、そんなこと言うの?」と尋ねると、「だって、デブと言うと周りの人が笑うから、良い言葉だと思った」というような返事が返ってくることが多いといいます。

「周りの人が笑う」という反応を見て、その言葉が良い言葉か悪い言葉かを判断していて、言われた人がどう思うかということを考えることが難しいんだといえるでしょう。

「人(相手)の立場になって考える」ことが苦手だという例に当てはまると思います。

また、ASDを抱える人は、人が傷つくようなことをその人に対してズバリと言ったりして、それも、しばしば攻撃的に感じるときがあります。

それもこういうところから来ているものと思われ、正直なことを言っているだけで、遠慮せずに言うので、攻撃的に感じますが、悪気はないようです。

このようにASDについて思いつくことを書いてきましたが、本人が生活に困難を感じていなければ、障害とはいえないということも言えます。

ASDを抱える人は内蔵などの内部疾患を抱えている人も多く、「社会的困難」や「強いこだわり」からくる困難より、むしろ、内部疾患のことで生活に困難を感じている人も多いらしいです。

そうなってくると、支援する人は、そちらの方の支援に重点を置く必要が出てきますよね。

こうして、ASDについて見てきましたが、ASDと診断を受けていない人のなかにも自分にも当てはまるところがあると感じる方もおられるのではないでしょうか?

人にはいろいろと苦手なものがあります。

そして、その苦手の延長線上に障害があるのです。

私は、「苦手」と「障害」の境界線をどこに引くのか、その基準に対して疑問に思うことがあります。

障がい者」に対して「合理的配慮」を行なわなければならないということが、法律にも明記されるようになりましたが、常に、人が苦手なことに対して配慮を行うように気をつけていれば、「合理的配慮」という言葉もなくなるのではないかと思うこともあります。

また、「発達障害」を抱えている人のなかには「知的障害」も抱えている人が多いと冒頭でお話ししましたが、「知的障害」にも「病理的知的障害」と「生理的知的障害」があります。

「病理的知的障害」は、脳の器質的、機能的なものからくるのですが、「生理的知的障害」は、その原因がはっきりしないものなのです。

発達障害」をはじめとして、「聴力障害」や「視覚障害」などの障害を抱える人のなかにも、この「生理的知的障害」を抱えている人が多くいます。

3重苦を抱えたヘレン・ケラーさんも、言語を獲得するまでは、「知的障害」があるとされていたかもしれませんが、その後、大学も卒業して立派な功績を立てておられます。

私は、障害を抱えておられる人は、ある意味、社会との関わりに制限を受けているのではないかと思っています。

社会との関わりに制限を受けると(できないことがあると)、どうしても年齢に相応したいろんな経験が不足してくると思います。

この年齢に相応したいろんな経験の不足こそが、「生理的知的障害」の一つの原因になっているのではないかと私は考えるのです。

ヘレン・ケラーさんほどではないにしても、こういった障害を抱えておられる人に、本人の努力もありますが、環境に働きかけることで生活上の困難を少しでも軽減(もしくは解消)していければ、この「生理的知的障害」は、ある程度克服できるのではないかと私は考えています。

 

ASDを抱える人の良いところやASDを抱える人との関わり方(こういう私もそんなに上手くできるわけではありません)、適していると思われる職業など、もっとお話ししたかったのですが、今回だけでは、なかなかそこまでは行き着けませんでした。

今回は、ここまでにします。

また、よろしくお願いします。

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今日のせなくん😁 巨大児になってきました(¯―¯٥)