こんにちは、またまたご無沙汰ぶりの“せなパパ”です。
今回は、以前お話ししたテーマの「共依存ってどんなやつ?」の内容を広げた感じの内容になるかと思います。
もう一度、「共依存ってどんなやつ?」を見直してくださるのも良いかと思います。
さて、「共依存」には、「アダルトチルドレン」や「きょうだい児」の問題が絡んできます。
そして、その「共依存」を背景とした「愛着障害」が、これらの問題の根底にあると言っても良いのではないかと思います。
それでは、「アダルトチルドレン」とは、どういったものでしょうか?
この言葉は最近良く使われるようになりましたが、実際のところ、きちんとしたその言葉の意味を知っている方はどれだけいらっしゃるでしょうか?
「大人になりきれていない大人」や「子どものような大人」といった認識をもっている方も多いのではないかと思います。
でも実は違うんですよね。
「アダルトチルドレン」とは、「子どもの頃に、家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷つき、そして大人になった人たち」を指します。
そして、「アダルトチルドレン」は、親からの性的虐待や肉体的・心理的(言動的)暴力、両親の不仲などによる、子どもを育てる機能を果たさない家庭(「機能不全家族」)のなかで育った人にも多いといいます。
この「機能不全家族」には、子どもに対して過剰に期待したり甘やかしたりする親や、仕事に依存する父親、夫に依存する母親などがいる家庭も含まれます。
当然、「共依存ってどんなやつ?」でお話ししたような、アルコール依存症の父親と「共依存」の関係にある母親がいるような家庭も含まれます。
実際、この「アダルトチルドレン」という言葉も、アルコール依存症の親を持つ子どもたちが大人になった時に「対人関係の問題」や「生きづらさ」に悩み苦しんでいることが多いということが分かってきたことから提唱され始めたようです。
この「アダルトチルドレン」の特徴には、「相手の評価に過敏になり自分に自信がもてない」「自分の存在価値を確認できず、酒・ドラッグ・仕事などにおぼれてしまう」「対人関係が上手くいかず、居場所のなさ、生きづらさを感じる」といったものがあるようです。
次に「きょうだい児」ですが、皆さんはこの「きょうだい児」という言葉、聞いたことがありますか?
実は、私は最近まで、この言葉を聞いたことがなかったんです。
「きょうだい児」とは、「病気や障害を抱える兄弟姉妹を持つ子どものこと」を言います。
「きょうだい」と平仮名を使うのは、「兄弟」だけではなく、「兄弟姉妹」のことを指すからだと思われます。
「きょうだい児」は、親の関心が自分以外の病気や障害を持つ兄弟姉妹らに集中しがちで、それに加えて、周囲にからかわれて傷つくなど、孤立感にさいなまれやすいとされています。
また、親を困らせたくないといった思いから、誰かに相談することもできず、さらに孤立感を高めることもあるようです。
「きょうだい児」のいる家庭では、ある意味、病気や障害を持つ兄弟姉妹と親との間で「共依存」が成立しているとも考えられます。
また、「きょうだい児」のいる家庭では、親は「きょうだい児」に頼り、期待をかけます。
たとえば、「きょうだい児」にさらに弟や妹がいる場合、「きょうだい児」に、その弟や妹の世話を親に代わってしてもらうというようなことです。
「きょうだい児」は、その親の期待に応えようと「良い子」を演じるようになります。
ここでも、以前お話しした「共依存ってどんなやつ?」を読んでいただけると分かると思うのですが、「共依存」が成立するのです。
こういった問題を抱えた「きょうだい児」の特徴としては、「集中力の欠如」「反抗的」「興奮しやすい」「かんしゃくを起こしやすい」「不満を持っている」「ケンカをよくする」「目立ちすぎる」「多動」「多弁」などがあるようです。
「良い子」を演じるのにも限界があるようですね。
こういった「きょうだい児」が、成長して「アダルトチルドレン」と呼ばれるようになることも多いと思われます。
病気や障害を持つ子どもと親が「共依存」の関係になるのは、ある程度、仕方がない気もしますが、以前にお話しした「自立ってなんだろう?2」を読んでいただくと分かると思いますが、その病気や障害を持つ子どもの頼る(依存する)対象が親しかいないことが問題だと思います(核家族化の問題もあると思いますが‥‥‥)。
親が、上手に障害福祉サービスなどを利用して、レスパイト(世話や介護において休息を取ること)し、「きょうだい児」にも関心を持ってあげることが大切だと思います(難しいことだとは思いますが‥‥‥(¯―¯٥))。
私の知るケースに、二卵性双生児のうち一人がADHDを抱えていて、そのADHDの子どもばかりに手を取られて、もう一人の子どもに手が行き届かず、結果、そのもう一人の子どもが情緒不安定になり、結局、ADHDの子どもを障害児入所施設に入所させたという例があります。
そうなると、親もその入所させたADHDの子どもが不憫(ふびん)で自己嫌悪に陥ってしまうということにもなります。
私は、そうなる前に、なにか手が打てなかったのだろうかと考えてしまいます。
さて、「アダルトチルドレン」や「きょうだい児」について話してきましたが、それでは、「愛着障害」とはなんなのでしょうか?
「愛着障害」には大きく分けて、「反応性愛着障害(反応性アタッチメント障害)」と「脱抑制型対人交流障害(脱抑制性愛着障害[脱抑制性アタッチメント障害])」の2つがあります。
「反応性愛着障害」は、「他者を警戒しすぎて頼ることができない」ことで、表情がなく、笑顔が見られない、他の子どもとの交流がない、などの特徴が見られるといいます。
陽性の感情(楽しい、うれしいなど)を表すことが少なく、陰性の感情(恐怖、悲しみ、いらだち)をよく表すそうです。
「脱抑制型対人交流障害」は、「反応性愛着障害」とは反対に、初対面の人にベタベタして「抱っこ」や「おんぶ」をねだったり、馴れ馴れしく場にそぐわない言動をしたりするのが特徴のようです。
しかし、「反応性愛着障害」と「脱抑制型対人交流障害」の特徴は正反対のように思えますが、「意地っ張り」「強情」「わがまま」「体調不良を起こしやすい」「身体が平均より小さめ」「自傷行為がある」「他害行為がある」「不眠傾向や食欲不振がある」「大人への試し行動が多い」「嘘をつく」などの特徴は一致しているようです。
「身体が平均より小さめ」というのは、施設入所の子どもにも多く見られ、真偽は不明ですが、その理由を、親と久しく会っていないために「あまり大きくなると、親に会った時に、親が自分のことを分からなくなるから」だと聞いたことがあります。
どちらにせよ、「反応性愛着障害」と「脱抑制型対人交流障害」は、幼少期の愛着形成が上手くいかなかったことが根本的な原因という点で一致しているようです。
また、症状の特徴が「自閉症スペクトラム(ASD)」と似ている部分があるため、混同しやすくなるようです。
この「愛着障害」を抱えた子どもが、そのまま大人になると、その特徴として、「人間関係の距離感が極端になりトラブルを抱える」「自己肯定感(セルフ点エスティーム)(自尊心、自信)が低い」「自律神経や胃腸の不調」「発達障害と似た症状」といったものが出てくるといいます。
こうして、「アダルトチルドレン」や「境界性パーソナリティ障害」「うつ病」になりやすいということになります。
「境界性パーソナリティ障害」とは、「人間関係、自己像、気分、行動の不安定性、そして拒絶されたり、見捨てられたりする可能性に対する過敏性を特徴とする」障害です。
一人でいること、孤独と感じることに耐えきれず、人の気を引くために周囲を巻き込んで、自殺のそぶりや自傷行為などの自己破壊的行為を行ったり、見捨てられることを避けるために危機を生み出すことに必死になったりします。
衝動的に気分が変動することも多いので、周囲の人や支援する人は振り回され、結果的に支援者同士の意見の食い違いや不和を招いたりして、疲れ果てさせてしまいます。
ある精神科病院では、この「境界性パーソナリティ障害」の患者さん一人のために、病棟のスタッフの半数以上が退職したということもあったようです。
私の知る「愛着障害」を抱えた児童は、果てしなくこの「境界性パーソナリティ障害」に近い特徴を持っていて、実際に支援者は振り回されて混乱をきたしました(¯―¯٥)。
では、この「愛着障害」はどのようにして起こるのでしょうか?
「愛着形成」においては、「安全基地」というものが大事になってきます。
「安心感」「安全感」を与えてくれる者を「安全基地」と呼び、基本的には、幼少期の子どもは、親などの養育者を「安全基地」とします。
「8ヶ月不安」とかいう言葉を聞いたことがありませんか?
子どもは、生後8ヶ月頃から初めて見る人などに不安を覚え、いわゆる「人見知り」をするようになります。
そして、「安全基地」である親などの養育者にすがるのです。
この「安全基地」があるからこそ、子どもは周囲を探索して回り、いろんな経験を積むことができます。
そうして、やがて「安全基地」は「探求基地」へと変わっていきます。
「探求基地」が形成されると、日常の行動で「こうしたら喜ぶかな?悲しむかな?」などと、親などの養育者のことを思い浮かべられるようになります。
こうして「善」「悪」の判断ができるようになっていくとも考えられます。
ここまで来ると、「安全基地」や「探求基地」は、「家族や親戚」「友だちや教師」、将来的に「職場や仲間」「恋人や夫婦」といった具合に徐々に拡大していきます。
こうした一連の流れが「愛着形成」ということになると思います。
また、養育者から離れて、新しい「安全基地」「探求基地」を築いて広げていく「心の強さ」を「レジリエンス」と言います。
以前にお話しした「リカバリーって何のこと?」で出てきた「レジリエンス」とは違う意味で使われていますね。
つまり、こうした「愛着形成」が、「機能不全家族」などを理由に、正常に行なわれないことが「愛着障害」の原因になっていると思われるのです。
しかし、現在、社会は非常に情報にもあふれ、テレビゲームの影響などもあり、とても刺激の多い環境になっています。
このような環境だと、親などの養育者からの刺激が相対的に低下し、「愛着障害」は、どの家庭でも起こりうると考えられるようになってきました。
では、「愛着障害」を抱えた子どもの支援はどうすればよいのでしょうか?
先ほど、「愛着障害」と「自閉症スペクトラム(ASD)」の症状の特徴に似ているところがあるとお話ししたと思いますが、その原因は異なっています。
「自閉症スペクトラム」を抱える子どもにおいて好ましくない行動が見られた場合は、その行動に反応すると、その子どもは相手の気持ちが理解できないことから、その反応を肯定的に受け取って、好ましくない行動が増えていく可能性がありますから、「意図的な無視」が有効な場合があります。
しかし、「愛着障害」を抱えている子どもは、どのような特徴が見られていても本心では「愛着」を形成したいと思っているので、「意図的な無視」をすると、かえって逆効果になります。
そして、「愛着障害」を抱えている子どもには、最初は一対一でじっくりと愛着を形成していき、主導権を決して渡してはならないといいます。
福祉の基本は、「利用者本位」ですが、「愛着障害」を抱える子どもの支援においては、「支援者本位」とは言わないまでも、支援者が主導権を握ることで、「愛着障害」を抱えた子どもは、「この人は安心できる」「この人は守ってくれる」という思いが強まるようです。
そのためには、子どもの話を「傾聴」したり「受容」「共感」することを優先せず、子どもが話す前に「~だね」と支援者から話しかけたり、子どもが何かをしたいと言う前に「~をしよう」と支援者から促すような「先手支援」を行うことが有効なようです。
対応する時に後手に回ると「愛着障害」を抱えた子どもに主導権を握られ、「この人は自分を守ってくれる存在ではない」と判断されて、行動が悪化するようです。
なんだか、福祉に携わる身としては、どうしても違和感を感じてしまいますよね。
でも、それが正しいらしく、例外中の例外ですよね( ゚д゚)ハッ!。
また、「愛着障害」を抱えた子どもは、感情の基盤が弱いので、感情の基盤を作るために体験や感情を言語化する「ラベリング支援」も有効とのことです。
具体的には、「~はうれしいことだね」「~は悲しいことだね」といったような言葉かけですね。
それから、基本的に2歳児に関わるようにして関わるということが大事なようですね。
どこまでも、福祉的にみて例外的な支援方法になるようですね(¯―¯٥)。
かんたんに「愛着障害」を抱えた子どもの支援方法についてもお話ししてみました。
「愛着障害」や「共依存」が、「アダルトチルドレン」や「きょうだい児」の問題に関係しているらしいことが分かっていただけたでしょうか?
今回は、ここまでにします。
次回も、またよろしくお願いします。