リフレイミングってなんだっけ?!(* ̄( ̄ *)

こんにちは、せなパパです。ヾ(•ω•`)o

以前、リカバリーのところでストレングスという言葉が出てきたと思うのですが、その中で、「リフレイミング」について少し触れました。

今回はその「リフレイミング」についてもう少しだけ掘り下げて?お話ししてみたいと思います。

以前にお話しした内容では、リフレイミングとは、「一見弱み(短所)と思われがちなこと、例えば、「頑固」、「家のライフラインが止められている」などは、「意思が強い」、「家で雨風は防げる」などと言い換えることで強み(長所)に変換することができる」ことと説明したと思います。🚗

このリフレイミングは、ICFの考え方においてもとても重要なんですね。

ICFでは、「障害」というマイナスな捉え方ではなく、「できること」というプラスの捉え方で考えていくということでしたよね。

また、「生活機能」のところ、「心身機能と身体構造」「活動」「参加」の部分ですが、そこには、「現在していること」だけでなく「できること」を入れ込むことも大事とお話ししました。(できれば見直しておいてくださるとうれしいです)

たとえば、なんらかの障害があって、今は「していない」ことでも、お医者さんから「~はできますよ」と言われたことは、「できること」として入れ込む(含める)ということです。🚓

ただ、これだけでは不十分ですよね。

この「できること」を「していること」に変えることが大事だと思います。

「できること」を「していること」に変えることは、ADLの向上であるとともにQOLの向上といえると思います。(リハビリテーション、大事ですね😁)

また、一見マイナスなように見えることも、リフレイミングによってプラスのことと捉えて入れ込んでいく(含めていく)ことができるわけです。🚕

リフレイミングの話に戻りますが、要は発想の転換ですかね?

わりと有名かもしれませんが、こんな話をきいたことがあります。🌍🌍🌍

あるところにサラリーマンの男性がいました。

仮にこのサラリーマンの男性をTさんとします。

Tさんは、いろいろとストレスを抱えながら毎日仕事に励んでいました。

今日は待ちに待った給料日です。

明日は会社も休みとあって、Tさんは、自分のおごりで同僚や後輩を誘ってパーッと派手に飲み食いしようと思い立ちました。

Tさんのおごりと聞いて同僚や後輩がたくさん集まり、その晩、派手な飲み会が始まりました。

飲み会は盛り上がり、だいぶお酒もすすみ、気がつけば朝になっていました。

一人自分の部屋のベッドで目が覚めたのですが、財布の中身を見るとスッカラカンになっていました。

今月分の給料を全部使い果たしてしまっていたのです。

Tさんは思いました。

「あー、自分はこんなにも充実した幸せな時間を過ごせたんだ」と。

どうでしょう。

私たちは、こんなふうに思えるでしょうか?

思えた人は、とても幸せな人かもしれません。

もしTさんが私だったら、「なんてことをしてしまったんだ、今月分の給料を全部使ってしまった、大変だ!」と思ったに違いありません。

私なら給料を全部使ってしまったことをマイナスなことと捉えてしまいますが、Tさんはプラスなことと捉えています。

これは究極の例かもしれませんが、私のマイナスな発想を、このTさんのようにプラスの発想にもっていくことが発想の転換なんでしょうね。

このリフレイミングの考え方を用いれば、現在、自分は不幸だと思っている人も、実は幸福な日々を送れていることに気づく、ということもあるのかもしれませんね。

少し違ってくるのですが、やはり「リカバリー」のところで出てきた「価値転換」についても少し触れたと思います。

自分が障害を負ってしまったことをネガティブに捉えるだけではなくて、その「障害を負ってしまったこと」をひとつの経験として捉えると、何かしら得られるものがあると考えられます。

その何かしら得られたものを新たな価値観として、障害を負う前よりも精神的に豊かな生活・人生を送るというものです。

まあ、かんたんに言葉では言っても大変難しいことだと思います。

この域に達するまでに何年もかかるかもしれません。🎈🎈🎈

以前にお話ししたと思いますが、私は、断酒会に通ってアルコール依存症における回復をしておられる方たちを多く知っています。

その方たちのなかに、「アルコール依存症になって良かった」と語っておられる方が何人かいらっしゃいました。

私も、にわかには、その言葉を信じられなかったのですが、その方は、アルコール依存症におけるリカバリーを経験し、価値転換を果たしたといえるのかもしれません。

また、少し違うお話しになるかもしれませんが、新約聖書福音書の中にこのようなお話しがあります。

エスユダヤ人たちに十字架に磔(はりつけ)にされている有名なシーンです。

エスは十字架につけられながら、こう祈られます。(>人<;)

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と。

私なら恨みつらみの言葉を言うかもしれません。

しかし、イエスは自分を磔にするユダヤ人のことを「何をしているのかわからないでいる」のだから「赦してください」と神に祈っているのです。

「お赦しください」とは「お許しください」とほぼ同じ意味と考えて良いと思います。

この言葉は「受容」ということもいえると思いますが、ある意味、考え方の転換ともいえるのではないかと思います。🥨

これも、かなり究極な例ですが、私が自分の立場として考えると、とても許せるような行為ではありませんが、このように考えることで、「許す」ことができることを新約聖書は示しているのかもしれません。🍷

最大の「許し」といえると思いますね。

この「転換」という概念、大事にしたいですね。

「許し」という言葉が出たので、それについて余談になりますが、このような話があります。

ある特別養護老人ホームでの話です。(o′┏▽┓`o) 

そこのホームはユニット制で、そのなかのひとつのユニットに入所しておられるお母さんに、いつも昼食の介助をしに来てくれる娘さんがいました。

そのお母さんは認知症を患っておられました。

自分に娘さんがいることは分かっておられたようですが、顔を覚えているかは微妙でした。

ある時、娘さんがお母さんに昼食の介助をしながら「ここに入所するまでは、いっぱい喧嘩したね、ごめんね」と話しかけられました。

その言葉に対して、お母さんは、「そんなことないよ、全然喧嘩なんかしてないよ」と返されました。

その言葉を聞いて娘さんは、「ありがとう、全部忘れてくれたんだね」と、目に涙を浮かべてつぶやかれました。

その話を聞いて私は「忘れるっていうことは悪いことばかりじゃないんだな、ある意味、許すってことにつながるのかな?」なんて思ったものでした。

日本語で「許す」ことを「なかったことにする」「水に流す」というようなものでしょうか。

後日、その娘さんが、ホームの職員にこう話しておられたそうです。

「私、介護の仕事を始めることにしたんです、それがお母さんに喜んでもらえることのような気がして」と。

そのことを聞いて、私はなんだかとてもうれしいというかジーンときました。😆😆😆

すみません、全然、リフレイミングとは関係のない本当に余談でした。

 

ナンダカ、リフレイミングとはあまり関係のない話になってしまった気もしますが、今回はここまでにしたいと思います。

以前、いつかコミュニケーションの技法に関してお話しすると書きましたが、わざわざ私なんかがお話しすることかな?なんて少し迷ったりもしています。

また、もしかすると福祉とは全然違う話題をお話しするかもしれません。

いずれにしても、またよろしくお願いします。(*≧︶≦))( ̄▽ ̄* )ゞ

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ある日のまるしゃん😁